もらう人、くれる人

何万円ぐらいか義援金を寄付して、生活必需品をとどけて、ちょっとおちついたあたりで現地にでかけて、瓦礫やヘドロの撤去を手つだう。そういう事で何か、震災被災地の人たちに、してあげたといえるか。何かを「あたえた」と表現できるか。

有名なスポーツ選手もしばしば、「被災地の人に感動をあたえたい」なんていうのだけれど、おかしい。彼らの商売は説明する事ではないから、おそらく、そこいらへんのマスコミ関係者発言を流用しているだけだろう。感覚的にはきっと、「私も全力でたたかうので、元気をだしてもらえたら、うれしい」というぐらいではないか。

日本人はおよそ、この大災害と、被災した人たちから、いろいろな意味でのおしえをうけている。生死の境界線でかんがえて、うごいて、生存の可能性をつかんでたたかっている人たちが、その他の人たちに重大な何かをあたえつづけている。その他の人たちは、寄付や手つだいをさせてもらい、よろこんでもらい、役にたててもらい、感謝してもらう。

道徳的な話をしているつもりはない。あえていえば功利的な話だ。日本は、つよい目的意識や、いきていくのにあったりまえの危機感や、人と人とのつながりや、労働の意味を、今東北で、おしえてもらっているはずなのだ。

 消失点

地平の彼方に、一点の目的があって、そこへむかって道路がつづいている光景を何度もみた。何度もみた、という印象になっているのは、その光景にわかりやすい意味があるからだろう。

ひらけた地面が空の下にあって、そこに一本の道路がつづいている。当然ながら、みている自分がここにいる。そうすると、自分を中心にした遠近感がとてもわかりやすくなる。彼方はふりかえる過去なのか、すすむべき未来なのかはどちらでもいいが、とにかく、単純化された方向性と距離感が、時間の比喩になるのだ。

とおくにみえなくなってしまった過去と、とおくにみえない未来の、間をつなぐ者として自分が存在する、さみしさというか、すがすがしさというか、消失点のある光景は、私たちにそういう意味をつたえてくる。

だから、だ。

津波で、廃棄物の原野になってしまった町の、どまん中をつらぬいて復旧した道路に一人でたつ時、あまりのおそろしさに身がすくむのだ。何十年も何百年も前から営々とつみかさねてきた労働の成果が、すべてがらくたになってしまった無念。そればかりか、この先何十年何百年はたらきつづけても、おなじようなしあわせの町は再建できないかもしれない不安。過去と未来をどうやってつないだらいいのかまるでわからない絶望におそわれるのだ。

自分はちいさい。本当にあまりにもちいさい。人の個性が様々であるなんて、ヒマな時のたわごとだ。怒濤にもみくちゃになってしまった町にぽつねんとする時、自分の無力をかみしめない人はいないだろう。

そして絶望するヒマもなく瓦礫の原にとりついて、とにかく道路を復旧させようと仕事をはじめた「ふつう」の人たちのたたかいぶりに、勇気をもらわない人もいないだろう。

 ちっぽけである

広大な山林、ではなくて広大な瓦礫の原を、目の前にして、自分はどうしてこうもちっぽけなのかと、みじめな気持になる。それは自分が、瓦礫の原に対して、どうにかならないか、どうにかできないかと、自問自答するからだ。みわたすかぎりの大海原とか青い山脈とか、そういうのは、ただながめていればいいだけだ。

1000兆円という日本の財政赤字なんて、たれながしのヘドロの海原だけど、10兆とか20兆とかいう財政出動が復興のために必要だとすると、国民一人あたりどういう負担になるか、ちょっとはかんがえてみたくなる。

あまりにもちっぽけで、みじめで、無力な自分をかみしめながら、何かちょっとぐらいできる事がないかをかんがえつつ、地べたを匍匐前進するように、だまって毎日をすごしてゆく。私たちは、そういうことでいいのではないか。

 道路がいちばん先に

地域全部が、悪夢のような海の怒濤にのみこまれておしながされて、無数の命と私物と資産が、ひいてゆく波につれてゆかれた後、町は瓦礫の原になった。あの光景は、世界のおわりにみえた。

いつの日か、この惨状が傷跡もみえないくらいに復興した時のために、この景色をおぼえておくべきだろう。ここがあたらしいはじまりだった、と。

それからもうひとつ。みわたすかぎりが、津波の放置した廃棄物の山になってしまった町で、人々がまだ、死よりもつらいくるしみにあえいでいた時、それでも絶望する間もなく復旧にとりかかった人たちがいたことも、おぼえておくべきだろう。

人はまずはじめに、道路の回復に手をつけた。まるで瓦礫の原を発掘するように、うもれた道路をほりだした。それが何よりも先に必要だったからだ。生存者をたすけるために。とにかくそこへ、かけつけるために。水をはこぶために。医療と食料をとどけるために。声をかけて話をきいて、いっしょに涙をながすために。瓦礫を片づけるために。電気と水道を復旧するために。そしていつかかならず町を再建するために。

道路は、意志である。それ以外の何物でもない。

 復興できる証拠

復興させるのは大変な仕事だ。瓦礫の町をながめれば、誰でもそう感じる。とんでもない事だ。「目眩のするような」といっても比喩にとどまらない、絶望してなげだしても誰も非難しない、本当に遠大な道のりだ。

その労苦をおもう時、かつておなじ道のりをあるいた人々がいたことに、私たちはどうしたって気づく。なくす前はあたりまえに享受してきて、なくしてからは理想郷のように美化したくなる、今は瓦礫の海になってしまった町を、つくった人々がいた。

形ある構造物だけにかぎっても、同等のところまで復興させるのは容易ではない。ただ私たちの記憶の中には、それが達成可能な仕事であるという、証拠がのこっている。

 消費者の自覚

テレビやネットだと、なんか、まるで、巨大電力会社の技術者や、日本国政府の高官よりも、知見が豊富で判断能力があるかのような口のきき方をしちゃう人がたくさんいるので、つい、みているだけの自分も、いっしょになって人をバカよばわりしたりたくなる。でも実際のところ、私たち一般人は、国家的な大災害について、責任の一端をになうどころか、テレビにでてカメラの前で意見をいうだけの度胸さえないものだ。

東電の端株をもっていたり、前回は民主党に投票したり、そのぐらいで一家言をぶちかますのは勘ちがいというものだろう。学校の先生とか両親とかをバカにして、一人前の気分になっている生意気な子供と大差ない。

東北太平洋沿岸の、目をそむけたくなる惨状と、原発にまつわる、目をこらしても何もみえない危機の前で、あまりにも何もできない自分に気づく。何かできないのか、何か、ちょっとぐらい役にたてないのか。自分があんまりにもちっぽけなので、有識者の政府批判には溜飲がさがるし、救援物資の箱づめを手つだったりすると満足感がある。そしてどうにもしようがない悲惨について、「国」の責任を、当然のように期待して文句をいいたくなる。そういう時、私たちはこの国の、主権者ではなく、消費者にすぎないだろう。それはおぼえておいた方がいいだろう。

「国難」は誰の「責任」か

ほんとか?って、意見の本音をのぞきこみたくなる時がある。見当ちがい、ということもある。よくかんがえないといけない。私たち、一人一人が、この国の当事者だ。自覚をもってこの国難にあたらないといけない。だからすこしでも、できることをやろう。とか・・・

いや、もちろんいいんだ。節電だって勤労奉仕だって、東北の物産を支援購入するんだって、いいとおもう。わるいわけない。誰だってちょっとぐらい誰かの役にたちたい。何かに貢献してるぞって、おもいたい。

けど、この地震と津波と放射能汚染について、私たちの一人一人に「責任」があるとかって、いわれちゃうとしたら、どうだろう。福島、宮城、岩手の、太平洋沿岸の、おぞましくたえがたいくるしみについて、私たち一人一人は、あの人たち一人一人に対して、救済の「責任」があるのか。あの人たちに課せられた息もできないくらいの忍耐と努力には、同情や共感や尊敬の念をいだくことはあっても、「責任をはたせ」といわれたら、ちょっとこまる。

仮に、私たちが自覚的な有権者であり、主権在民を実現する国家の当事者として、代理人の任命責任者であるなら、私たちは被災地から発せられる数々の非難と期待と憤懣を、あびせかけられても仕方ない。その反対に私たちが無知蒙昧な消費者でしかなくて、ただの労働によって日銭をもらって生存している下々の者にすぎないなら、私たちは「国難」について「責任」がない。そういう理屈ではないか。

「国」

この3月11日に、世界のおわりがきた、そう感じた人はたくさんいるだろう。アフリカとか中国とかでなく、今の日本の、ここいらへんで、こんなおそろしい事が本当に現実になるなんて。

濁流にのみこまれて炎上しながら町全体が崩壊してゆく。ものすごい映像に釘づけになり、言葉をなくした。それから今度は、映像にはぜんぜんうつらない放射線の恐怖によって、無力だけでなく、無知をつきつけられた。あわてふためき、後悔し、臍をかみ、これが世界のおわりでないなら、すくなくとも、ここから先の世界は今までとおなじではいけないと、誰かにひっぱたかれたみたいに実感したはずだ。

あの時の緊迫感と、変な種類のもりあがりは、今やうすれつつある。いやむしろ、あの時のあの気持を、そのままおもいだす方がむずかしい。肉親や自宅をなくさなくても、収入が激減したり、仕事の計画がたてられなくなったり、漠然としたおそれが頭にこびりついたりしている。でも、もうあの時とはちがう。

平和で、平凡で、安直な気分がもどってきている。不平不満をテレビに正当化してもらって、毎日をすごしている。国の責任だ。政治家がゴミだ。企業がゆるせない。あの時より以前と、まったくおなじように。不幸とか、不安とか、不満とかが、どこかのわるい人のせいであるかのように。

時々ふと、すこし疑問におもったりしないだろうか。「国」って誰だ? 「政治家」って何人だ? 国民の「不安」って、文句いってれば誰かえらい人が解消してくれるモンだったのか?

「国」の責任。「国」の対応。「国」の指針。「国」の援助。「国」の姿勢。「国」の理解。「国」の出資。「国」の判断。「国」の説明。「国が」「国が」って、すぐにみんないうけど、・・・「国」って、誰だ? 

 個展『道路』会場挨拶

とにかく道路の魅力にひきつけられて写真にとるのですが、それで言葉のいらない美の世界へたどりつくのかというと、残念ながらその反対です。うつくしいとか、おもしろいとか、かっこいいとか、そういう感動のかけらでもいいから写真にしたい。でもそれと同時に頭の中には、道路の、社会基盤としての圧倒的な重要性や、人知をつくした建設技術や、公の設備であることの制度的意味、敷設だけでなく継続的な維持管理もふくめた費用対効果の問題、そして複雑きわまりない生態系への影響、さらには人の世界認識に対してはたす役割、などなどの議論が、とめどなくわきあがります。風土と、歴史と、国家について、否応なくかんがえさせられてしまうのです。

 個展『道路』案内

道路はすごい。話はそこにつきる。

たとえば津軽の北端の、吹雪も怒濤も真横にすっとんでくる海際に、岩山をぶちぬいた素堀の隧道が今ものこっている。昔の人の、文字どおり岩をもうがつ根性の産物だ。あるいは、お茶の緑もうるわしい清水の山の天空に、空中ブランコみたいな高架道路が全容をみせはじめている。ああいうのは、もう未来世界の曲芸だ。とにかく昔のでも今のでも、いちいち胸がふるえる。

そしてその感動には、恐怖もまじっている。特殊な道路にかぎらない。孤独な山里につづく一本道だって、除雪作業でへしゃげたガードレールだって、意味はおなじだ。道路は、無益で無害な机上のお絵かきではない。道路は、ただの強烈な意志だ。ぐちゃぐちゃの敗戦国だった日本の、やけつくような願望を実現したのが、今の日本の道路だ。高温多湿の山岳国でしかも冬には豪雪地帯で、道路の敷設と維持というのは、おそろしいような大事業だ。

 個展『道路』主旨説明

田舎の道路は、運転がたのしかったのです。景色はいいし、渋滞はないし、整備はゆきとどいているし。それは気楽な温泉旅行の、ついでにおぼえた娯楽でした。それがいつの間にか、道路を鑑賞するようになりました。

道路はかっこいいのです。

橋やトンネルの偉業におどろき、絶景にめぐりあい、風雪にもみまわれました。孤独な山村を通過したり、壮大な開発現場にでくわしたりもしました。

やがて必然的に、国家という存在にまで意識がおよびました。国家が道路を敷設するのではなくて、道路の敷設が国家を成立させるのだ。昔の日本人はゆたかな未来を夢にみて、自由で安全な道路網を計画した。けれど彼らの理想は、実現したのか。日本という国家は今、何をしようとしているのか。そんな大上段の疑問までがうかんでくるのでした。

それは道路が、現実の風景をみせてくれるからです。

情報に強迫されて情報にしがみついて、私たちの毎日はすぎていきますが、世界を成立させているのが記号だけであるなんて、やはり勘ちがい。人の往来や、物の出入があってはじめて、この世がある。道路が整備されていてこそ、この国がある。

道路は、社会的な位置づけからすると写真撮影などよりも、むしろ議論の対象にこそふさわしいのですが、私はその任にたえず、この制度の重大な意味にひきよせられながら、おそれながら、道路に目をうばわれています。

 道路の話はきりがない

写真にとりたい対象として道路に関心をもつようになったのは、五年前です。伊豆の温泉にでかけた帰りに、偶然、旧道をみつけたんです。ちゃんと舗装されてるのになぜか荒廃してみえる細い道が、国道からそれて、海におちる崖の方へのびていました。それがとても気になって。通行止でもなかったので車で入っていきました。そうしたらその道が、だんだん狭くなってゆく。道の両側から植物がせまってきて、道幅の半分が緑にのみこまれていたんです。とても心をうごかされました。その時の写真が、今度掲載してもらう最初の一枚です。それがきっかけで道路の魅力に気がついて、最近では東北地方を中心に撮影しているんですけれど、その話をしろって言われたら、実は際限がないです。

たとえば岩手県の山間部を車で走っていて、日没の早い谷底だったりして、どんどん暗くなってきて、そこに巨大な山がせまってくる。そういう時の道路なんて、もう絶対無二の心の支えですよ。つめたい谷川にそって、まっ白なガードレールがずうっと糸をひくみたいにのびている。とにかくこの道をたどっていけば町に帰れる。そうすればガソリンスタンドもコンビニもホテルもある。道路は、文明の天国につながっている蜘蛛の糸で、本当に、本当に、大切な存在なわけです。だからいくらでも語れる。

道路っていうのは、言葉にならない感傷とか、人に言えないときめきとか、そういう情緒とひっくるめて、どうかするとわずらわしい種類の議論や理屈まで、いっぱいひきずってきます。社会的なコストとか、地域社会の存続とか、自然環境への影響とか、個人の自由とか、そういう。

北上山地の谷底でしみじみと感動するのは、まっ白なガードレールで保証された道路の、パースペクティブのうつくしさですけれど、それを堪能するのとおなじ瞬間に、この山裾にある集落にとっての、この道路の存在意義をかんがえてしまうわけです。ここでは、この道路自体が、医療や、教育や、現金収入を意味するだろうとか。この道路の維持管理が、費用対効果の観点から無駄であると判断されてしまったら、それは廃村の宣告とおなじだろうとか。あるいは津軽半島の北端の、雪が真横にすっとんでゆくような海沿いだと、昔の隧道にショックをうけます。津軽海峡の怒濤がうちつける岩山をぶちぬいて道路を通したっていう、それこそ岩をもつらぬく意志の力が目にみえてフォトジェニックだったりします。それをすげえすげえって見ていると、ついこの間までの日本人がみんな、未来への情熱に焼かれていたという想像につながる。誰もが、自由に、安全に、国中を通行できる未来社会を夢に見ていたんだろうと。だから「道路」という制度は、ひとつの理想の実現ですよ、やっぱり。それもたとえば、大地震の被災地を見たりすると感じられる事です。自分の私生活とは何の関係もない地方なのに、道路が、ゆがんだり、ぶちきれたりしていると、それはおそろしいものです。それは普通はあってあたりまえの、みんなが安全に自由に行ったり来たりできる、大前提が破壊されたからですね。流通とか自由とか福祉とか地域とかいう単語が、とてもリアルにみえてきます。

自分がフォトグラファーとして夢にみるのは、言葉にならない美の世界だったりしますが、どうも今のところ、議論とか連想とかが噴出してとまらないような光景にひきつけられています。道路の撮影なら、日本中の旅行なので興味は尽きませんし。

(「アサヒカメラ」誌11年2月号インタビュー再録)

道路とは何か? 「写真家」はそれを言葉でかんがえてはいけないか。