もらう人、くれる人

何万円ぐらいか義援金を寄付して、生活必需品をとどけて、ちょっとおちついたあたりで現地にでかけて、瓦礫やヘドロの撤去を手つだう。そういう事で何か、震災被災地の人たちに、してあげたといえるか。何かを「あたえた」と表現できるか。

有名なスポーツ選手もしばしば、「被災地の人に感動をあたえたい」なんていうのだけれど、おかしい。彼らの商売は説明する事ではないから、おそらく、そこいらへんのマスコミ関係者発言を流用しているだけだろう。感覚的にはきっと、「私も全力でたたかうので、元気をだしてもらえたら、うれしい」というぐらいではないか。

日本人はおよそ、この大災害と、被災した人たちから、いろいろな意味でのおしえをうけている。生死の境界線でかんがえて、うごいて、生存の可能性をつかんでたたかっている人たちが、その他の人たちに重大な何かをあたえつづけている。その他の人たちは、寄付や手つだいをさせてもらい、よろこんでもらい、役にたててもらい、感謝してもらう。

道徳的な話をしているつもりはない。あえていえば功利的な話だ。日本は、つよい目的意識や、いきていくのにあったりまえの危機感や、人と人とのつながりや、労働の意味を、今東北で、おしえてもらっているはずなのだ。