みえない物は撮影できない

大震災で、津波の映像は、それこそ怒濤のようにメディアにながれた。私たちはその怒濤に、津波のようにおそわれてもみくちゃになった。地面の液状化も建物の倒壊も、津波に人がのみこまれてゆく瞬間までもが記録としてのこった。

カメラは地震直後から、もう上空を旋回していたし、やがて写真家も野次馬ももこぞって被災地をめざした。このくらい一部始終が絵として記録された災害もめずらしいのではないか。露悪的な表現になるが、津波は「絵になる」のだ。

けれど今度の災害のおそろしさは、撮影できる、絵になる光景よりも、まったく写真にうつらない現実の方にある。原発施設の無惨なありさまは、いってしまえば他の地域の大規模施設の損害と何もちがいはない。けれどそこは、生身の人間は接近することもできない、地獄以上のおそろしい場所なのだ。この爆心地を中心に、東日本全体が汚染の恐怖にのみこまれた。放射線は、不可視光線で、みえないから理解しにくく、わからないから恐怖もかきたてる。みえないから被害を限定できず、わからないので過剰反応もする。この実体を記録するのに、一般の写真は完全に無力だった。

写真家の広川泰士氏に、日本全国の原発を網羅した写真集がある。「Still Crazy」という批判的なタイトル以外は、およそジャーナリスティックな暴露主義からも、建築物的なスペクタクルからもかけはなれた、単なる原発施設の全景がモノクロでならんでいる。20年前の撮影だが、これがこわい。事故を経験した今だからこわい、というより、当時も今も、おなじように漠然と、どこまでも気持わるくなる種類のこわさだ。

東中野のポレポレ坐というミニシアター+カフェで、その広川氏と編集者・佐伯剛氏の対談があった(2011.7.30)。広川氏の作品群は、あらかじめ私情で味つけされた解答がつけてあったりしない、と佐伯氏は指摘する。しかし広川氏は、自身の原発写真について、まずは原発をみてみよう、こんな所なんだと人にみせようという気持があったとはなす。また、原発で仕事をしている人は、だいたいが優秀でまじめで、地元に密着しているとか、原子力発電といっても、薬缶でお湯をわかして発電機をまわすみたいな、きわめて原始的な方法でびっくりしたとか、およそ平明な知見をのべるだけで、解答を排除した独特な写真の作家とはみえない。

原発であると明記されなければ、およそ海辺の工場とちがいのわかりにくい、非説明的な風景写真と、作家本人の気さくな説明が、どうしてもなじまない。著名編集者の解説と、先見的な作家の方法論をきければ、目にみえない実体の撮影について納得できると期待したが、その意味では、まったくの不満におわった。あるいは、すっきりと腑におちる解答なんて存在しない、という意味では、作家の姿勢は一貫している、ともいえるが。

目にみえる物は影にすぎないし、撮影された絵は残像にすぎない。そういう理屈でいくなら、津波の被害だって本当の事は何も撮影できないが、私たちは残像をみることで、すこしだけでも現実をわかちあう。わかちあうことで、はじめて津波がこの国の現実になるともいえる。ならば原発事故も、みんなで残像をみた方がいいのだが、撮影された福島は、ただのこわれた発電所でしかない。むしろ20年前の原発風景写真の方に、いわく説明しがたい不気味な放射線がうつっている気がするのだが、それこそ個人的な勘ちがいかもしれない。