道路がいちばん先に

地域全部が、悪夢のような海の怒濤にのみこまれておしながされて、無数の命と私物と資産が、ひいてゆく波につれてゆかれた後、町は瓦礫の原になった。あの光景は、世界のおわりにみえた。

いつの日か、この惨状が傷跡もみえないくらいに復興した時のために、この景色をおぼえておくべきだろう。ここがあたらしいはじまりだった、と。

それからもうひとつ。みわたすかぎりが、津波の放置した廃棄物の山になってしまった町で、人々がまだ、死よりもつらいくるしみにあえいでいた時、それでも絶望する間もなく復旧にとりかかった人たちがいたことも、おぼえておくべきだろう。

人はまずはじめに、道路の回復に手をつけた。まるで瓦礫の原を発掘するように、うもれた道路をほりだした。それが何よりも先に必要だったからだ。生存者をたすけるために。とにかくそこへ、かけつけるために。水をはこぶために。医療と食料をとどけるために。声をかけて話をきいて、いっしょに涙をながすために。瓦礫を片づけるために。電気と水道を復旧するために。そしていつかかならず町を再建するために。

道路は、意志である。それ以外の何物でもない。