金なんて関係ない

子供が交通事故にあって、足がうごかなくなるかどうかの手術をする時、どれだけ費用がかかるかなんてのは、二の次になる。もちろん保険をどうするかとか、病院をえらべるかとか、金についての責任は無視できない。けれども、ほんとうに子供の足がすべて。あとは関係ない、という気持になる。

土砂でうずもれて使用不能になった空港滑走路に、どこかの土木建設会社が、大々的に重機をもちこんで復旧をいそいだのは、その時そういう資材をまわすゆとりがあったから、というよりも、その必要があったから、という方がただしいだろう。その仕事をやれば後で評価されるとか、全体としてペイするとか、そういう計算を否定する理由はなくても、計画を実行したのは、それがどうしてもやらなくてはいけない仕事だったからだろう。

実際の話、金なんて関係ない、という場合はあまりない。金はあった方がいいにきまってるし、その時だけでなく継続的に必要な仕事は、お金をまわしてやらないと、きちんとした存続を保証できない。お金は大事だ。

だけど津波に破壊されて瓦礫の海になった町に、まずとにかく道路を復旧させようと、絶望するヒマもなくとりついて、死にものぐるいで土木作業をやった人たちが、給料のために仕事をしていたとは、かんがえにくい。自衛隊や消防の人が、給料の分だけ労働して帰投したと、感じた人もいないだろう。