気仙沼の男(ヤツ)

どうも気が小さいせいなのか、写真をとる時は息をとめる。この光はのがしたくないとか、さっさと場所を移動しないと人の迷惑になっちゃうとか、そういう理由で、格別の決定的瞬間をねらっているわけではなくても、緊張して息をとめてシャッターをきる時がおおい。

この間の気仙沼では、吹雪のぐあいと、雪景色の中のカラスが、かわいいような不気味なようなで、ちょっと思案した。そして車の屋根にあがった。雪道にのびている轍を、すこしだけ俯瞰したかった。カラスは乱舞しているし、雪はびゅんびゅんだし、屋根からころげおちないように足をふんばって、息をとめて何枚か撮影した。そして気をつけながら、いそいで地面におりた。そこで一気に頭痛がきた。酸欠だ。何枚か撮影する間に、息をするのをわすれちゃうからだ。貧血直前のように目の前が薄暗くなって、頭がつめたくなる。雪上にひっくりかえるわけにもいかないから、両手を膝についてこらえる。くるしくても、ゆっくり息を吐いて、それからまたゆっくりと吸い込む。時々やらかすので対処にあわてることはない。

だんだんおちついてきて頭をあげた。だいじょうぶだ。そうおもった時、前方の十字路にとまっている小型トラックの人と目があった。ハンドルに深く手をまわして、顔をこっちにむけている様子から、僕が車をとめている方へ右折したいのがわかる。ああ、失敗。せめて人に迷惑をかけないようにと、心がけてるのに。だめじゃん。こんなど真中に車とめて屋根にあがって写真とってたら、軽だって入ってこられない。あわてて手をあげて合図して、車にのりこんで始動する。むこうは、ゆっくりうなづいている。その前を通過しながら何度も頭をさげるけれど、座敷で挨拶しているわけじゃないので言葉なんか交換できない。運転するまま先に行くだけだ。僕の占拠していた道に、トラックが右折してゆくのがミラーでみえる。わるいことした。

ひろい場所に移動して、車をとめた。路面の舗装も、歩道の境界も、津波でぐちゃぐちゃになったのを撤去して、だだっぴろくなった場所だ。あのトラック、何の仕事だったかな。運転者は中年前の元気な感じで、荷台は空だった。余所者が車の屋根にのっかって夢中で写真とってるのがみえて、しょうがないから車とめて待ってたら、そいつが屋根からおりたら息も絶え絶えで、膝に手をついてうごかない。おいおい、どうすんだよ、さっさと移動しろよ。ふつう、おもいっきりクラクションならす場面だ。それをだまって我慢して、気づくまで催促もしない。頭さげられたら好意的にうなづいてやる。どうしてさ? 気仙沼の男って、みんなそんなに親切なのか?