夜の三陸

所用をすませて夜更に、陸前高田の鉄道にそって車をはしらせる。鉄道といっても、もちろん今は線路さえほとんどのこっていない。ただ、街灯も先行車もない暗闇をカーナビたよりに走行するから、その道がかつて大船渡線だった鉄道に並走しているのが、ナビ画面でわかるのだ。前方を凝視して、まだ冠水していないか気をつける。それでも時々、路面の陥没につっこんで、はげしい衝撃をくらう。ふと、笑い声をきく気がする。すぐとなりを走行していたかもしれない鉄道の車両が、ひどい路面にうろたえる僕を、暗闇で笑う気がする。車両がわらう? 津波の時にここいらで被災した鉄道車両はあったのかどうか、何もしらない。もろともに海水にのみこまれた乗客がたくさんいた、なんて報道はきいていない。だけどうしなわれた鉄道線路と、うしなわれた人命との連想で、ただでさえおそろしい暗闇には、まだ血のしたたる霊魂があふれかえっている気がしてくる。そうだ、あたりまえだ。この地には、どれだけの驚愕と無念と苦痛があふれているだろう。瓦礫の撤去がすすんだ空っぽの風景を、昼の日中にみている分には感じなくても、この土地にとっての現実は、深夜の暗闇の中にあるのかもしれない。僕はおそろしいと感じる。きわめてリアルに、素直に恐怖をあじわう。怒濤にのみこまれて死んでゆく気持がどんなだったか、ほんのすこしだけ体感しろと、広田湾の亡霊は僕に命じている気がするからだ。いい。ほんのすこしだけ。このままガードレールも失われた岸壁から、水底につれていかれるのには抵抗するけれど、彼らもそこまでは僕に要求していない。恐怖を味わえ、と言っているだけだ。それならかまわない。彼らもみんな、僕とおなじように、もうちょっと生きていたかったのだ。