夜明け前

昔、といってもせいぜい何十年か前だけれども、木曽の島崎藤村記念館にいった時、とても不愉快になった記憶がある。僕は文学趣味の子供で、文学的に高級な長編の作者である、森鴎外とか谷崎潤一郎とかいう人をえらいとおもっていた。藤村といえば、もちろん「夜明け前」。当時はまだよんだことはなかったけれど、とにかくすごいんだと信じられた。だから記念館の展示品がどんな物であれ、拝見すれば気持よくなる期待があった。もうわすれたけれど、きっと愛用の万年筆とか文机とか、そういうのもあったのではないか。でも僕がおぼえているのは、藤村の私信だ。当時のいわゆる不義密通にかかわる、本人の肉筆。文学的な偉業にくらべたら、およそどうでもいい私的内情が、まるで変質的犯罪者を追究するワイドショーのようにあばきたてられて、その証拠がガラスの展示ケースにならんで一般公開されている。衝撃だった。

文学の研究手法でいうと実証主義だろうか。作品を、作家個人の経験にさかのぼって点検するやつ。ヘンリー・ジェイムズはEDだったから文体がしつこいとか、有島武郎は金持だったから発想が幼稚だとか、そういう方向の批評だ。それはもちろん、精密に、誠実にやればやるだけ、作品にてらしあわせて納得できる部分もあらわれてくるのだが、だからといって錦の御旗にかかげるべきことでもない。太宰治は自殺した人であるより、「人間失格」の作者なのだ。ほじくればほじくるだけ意地きたない島崎藤村を、僕はほじくりかえしてうれしいとは感じられない。そんなことはほんとにどうでもいいけど、やっぱり「夜明け前」だろう、と。

話は、僕の撮影する写真に関係がある。自分の写真を頭でかんがえるとき、僕はいつも「夜明け前」をおもいだす。どちらかといえば人の顔よりも、人のかかわった風景や、人のつくった物に関心をむけるのが僕のやり方らしい。だんだん、なぜか自然にそうなった。たぶん「物」こそが人だからだ。「夜明け前」こそが藤村であるように、崩落した歌津大橋や、復旧をとげた東北自動車道こそが日本人である。落橋した国道がふたたび旧道に迂回して当座の必要にこたえている様子や、復旧させたのに地盤沈下による冠水で、両脇に土嚢をつみあげてかろうじて通行を確保している現状とか、そういう悪戦苦闘こそが私たちの姿ではないのか。だから今も誰も軽トラさえもめったに通行しない、浪江町の国道こそ、もしかしたら日本人の姿じゃないのか。