くらい写真

べつに自分の写真についての話というより、震災のリポート全般について、それがどんなふうにみえるか、不思議におもう時がある。広大な海がぜんぶ濁流になって町におそいかかる様子は、たしかにこわいし、1年以上たっても生々しい感情がよみがえる。みわたすかぎりが廃棄物処理場みたいになった風景は、これが昨日までふつうの町だったなんて、信じられない惨状だった。でも私たちは、そこに人がいて、我慢したり絶望したり勇気をふりしぼったりする様子に、津波の衝撃とおなじくらい重大な何かを感じている。

瓦礫の原に開通してゆく一般道の景色は、不屈の精神にみえた。今現在も粛々とすすんでいる瓦礫の分別整理など、日本人のたゆまぬ勤勉の証明でなくて何だろう。いつになったら元の生活ができるのか、一向に目処のたたない不安は当然の話でも、それでも絶対にあきらめない普通の人々の仕事に、私は目をみはる。おそろしい、かなしい、くらい、みるにたえない写真が、私たちの心のどこかを、つよくゆさぶる。それは根性と、忍耐の写真でもある。

悲惨な光景を悲惨だとしか感じられなかった自分に、これはもしかしてすごいんじゃないかと、聞いてみる。風景はうごいている。うごかしているのは、季節の風雪だけではない。