風化

あれだけの衝撃をもらった大震災だけれど、私の中では次第に風化してきている。時々、何かの事件について「風化させてはならない」という文句を聞く、あの意味での風化だ。

はじめは頭が真っ白になって、吐き気をもよおした。言葉をなくして、でも反対に何をどうかんがえたらいいのか混乱して、何でもいいから言葉をさがした。自分の中だけで大上段にふりかぶって演歌をどなってみたり、百万年の彼方から俯瞰するみたいな目で事態を傍観しようとこころみたり。直接の被災者ではないので、これは比喩でしかないけれども、それでも地震でゆすぶられ、津波でもみくちゃになり、放射線に焼かれた。あんなに生々しい体験は、今迄の人生ではじめてのことだ。幾千の人が傷ついて死んでゆくのと、まだ生きている自分の偶然が、気持の上では無理なくかぶって、赤むけの現実感をかみしめた。

だから、今はすこしほっとしている。自分の気持的にも、いわゆる被災地の復興という意味でも。いちおう瓦礫だけは整理されて、むきだしの傷口はひとまずふさがった様子だから、ちょっとだけ現実をわすれさせてもらえる感じなのだ。風化させてはならない? いや、すこしだけでいいですから風化させてください。心も体も、ちょっと休憩させてください。どうせどこへもにげられないし、無視できるわけもない。12.10.31